あけましておめでとうございます

2024年がはじまりました
本年もどうぞよろしくお願いいたします

 
 
わたしは、ずっと潜在的に、
食材を扱う市場の活気や働く人の無駄のないからだの動き、
調理場で働く人の手際のよさ、
鋭さや生命力ある温かさにただひたすら惹かれてきたのだとおもいます。
母親の料理する手先を魔法みたいと眺めていた幼児時代があり、
大鍋を扱う給食のおばちゃんたちをかっこいいなぁと眺めていた小学生時代あり…。
 
 
今想うと、20代の中頃、敢えて真冬に輪島の朝市に行ったというのも必然でしたね。
朝市通りを歩いてみたかった。
早朝の寒い中、朝ごはんにあったかい魚のあら汁を飲んでみたかった。
わたしにとって、ものすごいわくわく感がありました。
 
 
その時、一眼レフで写真を撮ることを楽しみとしていた私は、
朝市通りの様子をいろいろとカメラに納めましたっけ(まだ35㎜の時代です)
ちょうどその頃、勤めていた会社の顧客向け情報誌内のスタッフ紹介コーナーに登場する順番がわたしに回って来て、
そのうちの一枚の朝市の干物の写真を載せたのですよね。
共同通信時代のお友達の中には、ひょっとしたら覚えている方がいるかもしれませんが、
あの当時のわたしは、自分の中にあったどうしようもないグルーブ感を言葉にできていなかったどころか、
自覚してもいなかったし、今想うと、印南真帆さんがなぜに干物写真?と周囲には思われていたような気もします笑
 
 
生きている限り、人は食べます。
 
 
ある店舗経営者が「いくつかの震災を経験した街がそうだったように、
復興は飲食店から始まる、まちは飲食店から始まる」が話してくれたことがあるのですが、
本当にその通りだと思います。
 
 
火と水と調理器具と食材があったら、必ずや、人の糧になるものを調理する人がいる。
それはたった一人でやるより大勢でやったほうが効率がいいこと。
人がちからを合わせることから波及する化学反応があちこちへ伝染していく。
食べることでチカラを回復していく人たちがいる。
そんな人間の持っている底力があの街々で発揮されていくであろうことを信じます
 
 
今は、当店で販売はしていないのですが、
さろん楓で料理教室を開催していた際にご紹介していた
「わじまの塩」を製造・販売している橋本さんの朝市通りのお店は全焼してしまったと聴いています。
ご本人は東京にいらしてご無事とのこと、
塩士の方もご無事とのこと。
直接連絡をとったわけではないのですが、
再建の際の微力になれたらと考えています
羽田の日航機と海保機の衝突事故で、
日航機の乗客、乗務員全員が無事脱出できたというのは、
最悪な中でも乗務員が自らの仕事の本分を果たし、
人々もそれに協力したという素晴らしき奇跡。
自らも被災者でありながら自らの仕事に徹している行政、病院、消防の関係者の方たち。わたしもそれを大事にしようとおもいます
◆   ◆   ◆
 
というわけで、なんだか投稿をためらってしまったりして、
今更感はありますが、おせち料理の祈りと願いの投稿をこの後、続けたいと思います。
よかったらお付き合いくださいね
 
写真は、元旦ブルーとわたしが呼んでいる元旦の多摩川河川敷で撮った
雲ひとつない青空2024バージョンと
最近気に入って、
朝に夕に定点観測&撮影している土手の写真です